ことを特に明かにしたもので、その点、モリエールの言葉だけに、多分に時代の風潮を暗示してゐる。序に云へば、モリエールの面白いところは、劇作家としての才能の非凡以外に、王の寵遇にも拘らず、その寵遇の故に却つて自己を赤裸々に発揮し、王の側近たりとも容赦せず、権勢の代表たる貴族と僧侶とに鋭い諷刺の戈を向けたことである。
 ここで私は為政者の考慮を煩はしたいことがある。わが国にも嘗てはその例がないわけではないが、かかる諷刺を受けた当の貴族僧侶が、個人的に関係はなささうだといふ理由で、苦笑しながらもその舞台に喝采を送つてゐるといふ図である。わが国の狂言には、低能とも思はれる大名が屡※[#二の字点、1−2−22]登場するが、これは、作者が、殿様と呼ばれる階級の世情に通ぜざることを戯画的に諷刺したものに相違なく、しかも、これらの笑劇は殿様連中の好みに最も適つてゐたのである。見物中に機嫌を損じ、座を蹴る殿様がゐたとすれば、これは益※[#二の字点、1−2−22]誂へ向きの狂言的人物なのである。
 要するに、演劇の魅力は、それが何等かの意味で、「自分たちの生活」の再現であり、その中に、新しい自分、かくされてゐた自分、眠つてゐた自分をまざまざと生きた姿に於て発見するといふことである。芸術的陶酔とともに自己浄化、自己反省の機会がここにある。演劇の教化力はかかる意味に於て考へられなければならないのである。
 諷刺が侮辱となるのは、作家の精神に不純なものが混入してゐる時であるか、すべての諷刺を侮辱と解するのは、観るものの精神が幼稚であるか、脆弱な証拠である。為政者は如何なる場合にもかかる精神の厳然たる批判者でなければならぬと思ふ。
 演劇の主題が直接に政治的、思想的傾向を帯びて来たのは、ヨーロッパに於ては十八世紀のいはゆる啓蒙時代を迎へてからである。
 ドイツに於ては、クライスト、シルラア、ゲーテの出現によつて真に国民的なる演劇の根柢が築かれたが、フランスにあつては、社会思想的に劇作家としてこの時代を代表するものはボオマルシェ一人である。しかも、彼は、「フィガロの結婚」の一作によつて、革命の先駆をなしたとさへ云はれる。新興階級の意気と情熱と溌剌たる叡智とを示すこの諷刺喜劇は、作者が王女の音楽教師である関係によつて、王自らの手で公演前の検閲が行はれた。不穏当を理由として却下されること四度、修正には
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