の演劇が徳川幕府の政治――延いては、その時代の社会的事情を背景として生れたのだといふことを考へれば、明治維新を経て昭和の現代に至るまで、その政治的革新も、社会的進化も、歌舞伎劇に対しては微々たる作用を及ぼしたに過ぎぬといふことになる。民衆の生活に深く根をおろしたものの、遂に抜きがたき力となることかくの如くである。幕府政治は滅んだ。しかし、「政治」の性格が民衆に示す相貌は、みんなが思ふほど変つてゐないところにも、歌舞伎劇の生命があるのかも知れぬが、それよりも、私は、やはり歌舞伎劇の力と美が、われわれの祖先の長日月に亙り、求め、創り、磨き、そしてわれわれの時代に伝へたものだといふことに、誇りと親しみと感動とを覚えるものである。

     三 近代国家と演劇政策

 芸術家が一般に芸術の目的と使命とを自覚し、意識的に「高い芸術」の創造を目指しはじめたのは、いはゆる文芸復興からであり、国家も亦、政策として、芸術諸部門の健全な育成を心掛けるに至つたのはいづれも近代国家形成以後と見てよからう。従つて、芸術家の自覚と、国家の配慮とは、緊密な関係をもつものと考へられる。
 フランス十七世紀の例をとつてみても、ルイ十四世の国家統一と国威発揚に伴ふ賢明な文化政策の裏面には、宰相リシュリュウの学識と烱眼があつたことは勿論であるが、特に演劇方面に於ける黄金時代の現出には、王自身の趣味によるほか、批評家ボアロオを中心とする劇詩人の真摯な古典主義運動が、演劇の品位と同化力を著しく高め、かつ、王をして何をなし、何をなすべからざるかをはつきり認識せしめ得たことが、大に与つて力あるのである。
 しかしながら、ルイ十四世の治下に於ては、まだフランス古典劇は十分に「国民全体」のものになつてはゐなかつた。国立劇場はまだ王室劇場の実質を脱してゐず、年金を与へられてゐる劇作家も亦、庶民のために書くといふよりは、寧ろ宮廷人士を観客として予想したのではないかと思はれる。モリエールの言葉として、「余は[#ここから横組み]“〔honne^tes〕 hommes”[#ここで横組み終わり]のために喜劇を作る」といふ意味の宣言が伝へられてゐるが、〔honne^tes〕 hommes とは、この時代に於て正確に何を指してゐるか私にはわからぬながら、およそ、「素姓正しき人々」のことを云つてゐるらしい。「身分高き人々」ではない
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