女王も意見を出すといふ念入りな段取りを経て、やつと上演許可になつた。ルイ王朝は既にその影薄く、時代転換の前夜に於ける政治のすがたはまことに常道を逸したものであり、「フィガロ」の公演は、ルイ朝最後の王の為政者としての英断を語ることにはなるまい。この喜劇は、果して民衆の熱狂的歓呼を浴び、社会的動乱の前徴を如実に示した。それはともあれ、フランスに於ける演劇の取り扱はれ方は、ほぼかくの如きものであつた。
 ヨーロッパの大国は、それぞれ、首都に王立乃至国立劇場を設け、地方各都市にも、博物館、図書館等と並んで、公設の劇場が建てられてゐるところもある。これは云ふまでもなく、演劇の国家的保護乃至助成を意味し、延いて、民衆の演劇的教養に健全な軌範を与へ、国民文化の粋とするところを普く内外に誇示しようとする意図に出たものである。かのナポレオンが、モスクワ攻撃の陣中、冬将軍の猛威を前にして惨憺たる策戦を練るかたはら、巴里に於ける国立劇場コメディイ・フランセェズに関する新たな勅令を発布したことは、あらゆる点からみて興味のあることであり、「モスクワ条例」と名づけられたこの一片の法文には、文化史的に重要な意義が含まれてゐる。
 共和国フランスに於ける演劇政策は、四、五の国立劇場に相当の補助金を交附し、劇場専属の俳優を官吏待遇とし、惜しみなく劇場関係者に勲章を与へ、元老女優で勲一等に叙せられたものも出るくらゐ徹底してゐるやうであるが、なにしろ、既にこの老成国は制度にのみ頼るところがあり、官立の演劇学校はその「伝統」――実は因襲の故に天才を育てることができなくなつてゐるし、投機的性質を帯びた商業劇場の如何はしい上演目録が民衆の人気を浚つても、それは手の施しやうがないのである。とにもかくにも、フランスの演劇政策は現在まで、フランスの政治的性格のもつ長所と弱点とに左右せられ、近代フランス劇の消長は、その演劇政策の如何に拘らず、まさに国民的自覚の大小に比例してゐると云つていい。
 ドイツ帝国にあつては、この点、フランスと甚だしく趣を異にしてゐる。ドイツの演劇政策は、フリドリッヒ大王以来、その一般国民的性格を反映して、極めて組織的であり、計画的であつた。元来ドイツ人はフランス人ほどに演劇的ではない。しかし、フランス人よりも演劇的訓練を受けてゐる。ドイツに於ては、演劇が早くから政治の面に結びつき、劇場の多く
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