パノラマ」の著作権を認めるなら、単なる想念(〔ide'e〕)としてでなく、一つの「形態」(forme)として記録し得る限り、「動き、かつしやべるパノラマ」の著作権も当然認められていい筈だと私は信じ、かつ、舞台芸術の組織に関する常識を、この際、立法に携はる諸家が一応はもつてゐて欲しいものだと希望するのである。
参考のために、現代演劇を構成する一々の要素を挙げれば、
一、脚本(作者)
二、演出(演出家或は舞台監督)
三、装置(装置家、場合によつて照明、音響効果、衣裳等の考案者もこれに列る)
四、演技(俳優)
五、時として舞踊振付並に伴奏音楽
大体、以上の如き専門家の協力乃至統制的機構によつて、演劇は、一個の「芸術的著作物」となるのである。
この場合、それぞれの分担領域が明瞭に「独創性」(この言葉は本法第二十二条に使用されてある)を有するかどうかは、一に専門家の鑑定にまつべきであらうと思ふ。
そのうち、俳優の演技のみは、今日まで著作物と見なすために困難な事情にあつたが、それでもなほ、日本の歌舞伎劇や西洋の古典劇に於いて、例の「型」なるものは、何代目何某の「型」とか、英国俳優アア※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ングのハムレット第何場の「型」などと称へ、暗にその「著作者」の人格権を認めて来たのである。
近代演劇は、脚本作家と俳優、この両者の協同以外に、演出家(〔metteur en sce`ne〕)といふ専門家の出現を促した。(従来は、俳優中の座頭若くは興行主、又は作者自ら舞台全体の考案乃至統一指揮に任じてゐたが、脚本の進化及び演劇理論の発達と共に、舞台効果を目指す特殊技術が要求されはじめた結果である)
この点、演劇よりも映画に於いて、いはゆる「監督」なるものの職能が、一般に知れわたつてゐる。
演出家の権利擁護
そこで、再び演出家の問題に還るが、現在「演出」なる仕事の領域は、まだ理論的にも実際的にも、限定されてゐないのである。言ひ換へれば、「演出」の範囲といふものは「演出家」次第で、いろいろに変化する。演出家が脚本を「改竄」し、俳優に命令し、装置家を助手扱ひにするといふ極端な「演出法」もあり、また一方では、演出家が、脚本の指定を墨守し、俳優の註文に応じ、装置家の工夫した装置に従つて「動き」をつけるといふ消極的な「方法」さへあるのであ
前へ
次へ
全7ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング