演劇・法律・文化
岸田國士
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)〔oeuvres litte'raires〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://www.aozora.gr.jp/accent_separation.html
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芸術家擁護の現行法
「芸術」と「法律」とはそんなに縁の遠いものではないといふことを、私は近頃いろいろな機会に感じるのであるが、この両者の接近が、どうかすると、一国の精神文化の水準を示してゐるのではないかとさへ思はれることがある。
これは決して、芸術家にも法律の知識が必要であるとか、法律家も芸術に対するひと通りの鑑賞眼を具へてゐてもよからうとかいふやうな問題ではなく、一国一時代の民族的活動が、芸術なる部門に於いて如何に組織化され、合理化されてゐるかにあるのだ。ここで法律といふ言葉は、無論、政治を含んでゐるものと解して欲しい。
さしづめ、具体的な例を挙げれば、国民の芸術教育に関する施設、一般芸術的事業に対する国費の割当、検閲制度、著作及び出版、興行に関する法規並にその運用等に現はれた国家の意志とその動向が、理想主義的であると、また現実主義的であるとを問はず、一個の文化表象として、国際的矜恃を示すに足るものであるといふ事実を無視するわけには行かぬと思ふ。
わが国についてこれをみると、早くから、美術と音楽に限つて、官立の学校もあり、官営官選の奨励機関など備はつて、これだけはほぼ近代国家としての面目を保つてゐるやうであるが、文芸殊に演劇に関しては、大学における若干の「学問的研究」を除いては、国民の創造的欲求乃至努力に対して、まだ何等国家的インテレストを示してゐないのである。(先年文楽座に対し若干の補助金をだすことになつたぐらゐのものである)
が、それはそれとして、今ここで問題にしたいのは、芸術家を含む一般「著作者」なるものの権利擁護に関する現行法律が、昭和六年の改正後、やや必要な補足を見たとはいふものの、まだ、その条文の用語が甚だ「原始的」であるために根本の精神に
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