ケ楽著作物は世間に段々出て来るのであるが、どうも著作権法の中に明かになつて居らぬのであるから、果して保護を受くべき著作物の中に入るのであるかどうかといふことで疑を持つ者があるのであります。(中略)従来はこの音楽著作物といふものは美術著作物の中に入るといふ解釈になつて居るのであります。又条約においてもさういふやうな意味になつて居るのであります。それでありますから、極く厳格に解釈を致しますれば、現行法の美術著作物の中に入ると申して差支ない。然しながらさういふ疑義があります以上は、これを明かにして置くといふことは法律を制定する上に必要でありますから……(後略)
因に水野氏はベルヌ条約にわが代表として出席され、日本における著作権法の起草者であり、またこの道の権威であることはいふまでもない。
そこで、右のやうな経過に徴しても、この第一条は可なり法律家の頭を悩まし、また今後も悩ますであらうことは明かであつて、一切の新規な問題は、この一項の解釈如何によつて決せられるともいへるのである。
そもそも、演劇や音楽の問題が、一国の最高知識を集めた議場で、かくの如く面倒な結果になるといふのは、世の中が日に日に進むからでもなく、また当局の立法技術に欠陥があるからだともいへない。これはわれわれ日本人の文化的教養が、その質と範囲に於いて、各種の社会部門を通じ、極端に分裂し、対立し、食ひ違つてゐるからだと思ふ。
例へば、同じ知識階級の中でも、職業や専門が違ふと、一般生活事象に対する認識批判はもちろん、日常用語のなかに含まれる「言語的感覚」に至るまで、しばしば不思議なくらゐ疎通を欠いてゐるのである。その根本理由は、過渡期の目前主義を反映する国民教育と政治的理想の変則的状態に存するとみるより外なく、ここにもまた、日本現代文明の傾向が暴露されてゐるのだと思ふ。
この点についてはいづれ別の機会に詳しく論じたいと思ふが、今試みに、わが著作権法の種本たるベルヌ条約の第一条から、以上問題となつた「文芸学術若ハ美術ノ範囲ニ属スル著作物」といふ文句に相当する原文を拾つてみると、これは、疑ひもなく「〔oeuvres litte'raires〕, scientifiques et artistiques」であつて、この最後の artistiques なるフランス語を翻訳する際、これに「美術の」といふ日本語を当て
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