酔つたんだ。
底野  つまらんものまでに酔ふなよ。それで、そいつが、貴様の云ふ、果報は外を歩いて拾へか。
飛田  犬も歩けば棒に当るだ。
底野  犬の当る棒だから知れたもんだ。
飛田  貴様の話はなんだい。
底野  聴いてなかつたのか?
飛田  よく聴いてなかつた。誰が来たんだい。
底野  おこよさ、池中館《ちちうくわん》の娘さ。
飛田  なんだ、借金取か。
底野  借金は第二だ。
飛田  おこよが来たからどうだつて云ふんだい。それが、貴様の主義とどう関係がある。不良学生に取巻かれて、精神的処女性をとつくに失つてゐる娘から、何を得たといふんだ。貴様の果報つていふのはそんなことか。
底野  なにを。精神的処女性なるものを、貴様、云々する資格があるか。昔の友人が金持になり、支店長になり、それが、貴様の現在とどう関係がある。カクテル一杯で、頭が変になりやしまいな。公平に比べてみろ。たとへ誰のものでもいゝ。たとへ何を失つてゐてもいゝ。この殺風景な、この家賃も碌に払つてないやうな家の中で、一つ二つは隠してゐるとしても当年取つて十九歳と称せられる十人並以上の美少女とたゞ二人、火のない火鉢を挟んで相対坐し得たといふことは、これこそ、おれが日頃……。
飛田  さうだ、それを云ふなら、こつちでも云はう。人口三百万の大東京を中心にして、誰がよく、友人の中で一番出世をした男に廻り会へるか。違つた電車、違つたバスに乗つてゐる二人の人間は、永久に相会することは出来ないのだ。一人が家の中にをり、一人が外を歩いてをれば、これまた、悲しい哉、顔を会はす機会を恵まれ得ないのだ。外は、今日も冬空だ。路は到るところ氷の鍍金だ。男も女も、襟巻に頤を埋め、擦れ違ふ人の横顔さへ振り向いてみようとはしないのだ。然るにだ……。
底野  わかつた。
飛田  然るにだ。
底野  もうわかつたよ。
飛田  いや、しまひまで言はせろ。然るに、偶然と云はうか、神の配剤と云はうか、二人の心が相通じたと云はうか……。
底野  犬が歩いて棒に当つた。
飛田  犬? 犬とはなんだ。誰が犬だ。
底野  貴様ぢやないか。
飛田  さうか。やつぱり、犬でいゝのか。
[#ここで字下げ終わり]

     二

[#ここから5字下げ]
底野が、また前場と同じやうに寝転んで雑誌を読んでゐる。夕方である。
玄関の格子が開いて、癈兵帽をかぶつた男
前へ 次へ
全16ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング