女性の綿密を以てする。患者等は女史等を見るに慈母の愛と姉妹の親しみを感ずる」と、述べ、一方、小川女史を評して、「顔を見ればやさしい女性であるが、やる事はやむにやまれぬ男まさりである。(中略)此頃大陸に銀翼を振ふ処の皇軍海陸の荒鷲が、武装都市を爆撃して世界の人心を驚嘆せしめて居るが、女史にして男であつたなら、或は此の途を選んだかもしれない」と、やゝ、その活動ぶりの雄々しさを一面的に強調してゐるけれども、この手記を読むものは、決して、この著者の「男まさり」といふやうな所に感服するのではなく、「男性的」な何ものをも発見せず、却つて、「女性なればこそ」といひたい、柔軟な、しかも、持続的な愛と奉仕の気持に頭がさがるのである。例へば、その性格の凜々しさは、すこしも、天性の潤ひを消さず、科学的な教養もなんら繊細な感情の流露を妨げてゐない。ことに私にとつて興味のあることは、この現代のインテリ女性、一向に自意識の過剰を示してゐないのみならず、批判的ポーズに浮身をやつす傾向からは甚だ遠いといふことである。従つて、その聡明さには一点懐疑の曇りがないうへに、恐ろしく親和的なものが含まれてゐて、単純ともみえるほどの善意が支配してゐる。
この種の仕事に対する情熱は、ある場合、狂信的な身振りを伴ふものであらうが、さういふところもまんざらないとは云へないにしても、それは当然として許される程度で、およそ偽善的な臭みなどといふものは微塵もなく、世俗的な苦労と聖女のやうな静けさを身につけながら、それでゐて、常に、書生つぽらしく振舞ふあの闊達さ、どんな場所でもユウモアを拾ふ感覚のゆとり、まことに驚くばかりである。要するに、その思想にも表現にも、不思議と西洋かぶれのわざとらしさがなく、男の向ふを張るといふやうな厳つさもない。然もなんといふつゝましいコケツトリイがこの一巻を彩つてゐることだらう。著者自身はこれを最も意外に思ふかも知れぬが、私の眼が怪しいかどうか、大方の判断に委せることにしよう。
三
「小島の春」から私が受けた印象のある部分は、もうひとつの作品――即ち、中央公論の二月号に載つてゐる日比野士朗氏の「呉淞クリーク」に共通するものである。
こんな比較は突飛なやうであるが、私の云ひたいところは、このユニツクな戦争文学もまた、その「素直」さで完全に私の心をとらへたといふことである。そ
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