ひねつた。
 厳格に云ふならば、この著者は、文筆を専門とするやうな修業はしてゐないであらうし、ことに、もともとかういふ形で世に問ふべく書かれた作品ではないといふところから、散文として月並な形容や調子がちよいちよい混つてはゐるが、全体として、流暢な、水々しい文章で、間に挟んだ一連の和歌の、奔放に歌ひはなしてあるのが、昔の日記文学に通ずる風趣を添へ、烈々たる精神と行為とが、「ものゝあはれ」の近代的表現となつて、当節珍しい形式の報告文学を作りあげてゐる。

       二

 さういふわけで、私が「小島の春」からうけた感銘は、一言にして云ひ難いが、これを要約すれば、
 一、かういふ女性がかういふ事業にこれほどまでに一身を献げてゐるといふ驚異的な事実はまづ措くとして、
 二、下村海南氏の序文にも、「一等国である日本には、まだ癩の患者が到るところに、医療の手当にも恵まれずに散らかつてゐる。欧米各国では患者の全部が隔離され収容され、それぞれに手当をうけて余生を送つてゐる。そうした患者が相次いで天命を終つた時に、その国には癩が絶滅されるのである。日本ではまだ万余を数へる伝染病毒を持つ不幸なる患者が野放しになつてゐるのである」と書かれてあるが、その事実は私も予ね/\聞き知つて、他の一般社会施設の不備とともに、わが国の恥辱だと思つてゐたのだが、今日までさういふ状態に放置されてゐる原因の最も大きなひとつについて、私はこの「小島の春」にはじめて教へられたと云つてよく、それは、もつと研究をしてみなければはつきりしたことは云へないけれども、少くとも、その大きな原因のひとつといふものをまざまざと知らされることによつて、われわれは、所謂日本人として、声高に日本を弁護するところまで押しやられさうにもなる。が、それとは別の意味で、たゞ、しみじみと、わが家族制度の根深さ、恩愛の束縛の強さに、胸つぶるゝ想ひがするのである。
「小島の春」のわれわれを打つ力の重点は、そもそも、この暴虐な伝統的感情の、痛ましくも見事な詩的表現にあると、私は極言して憚からぬ。
 三、しかも、かゝる場面に立ち対ふ、著者小川正子さんの心情の、如何に気高く「日本的」であり、健全に「女性的」であることか!
 これがまた、本書のもつ近来稀な魅力を特色づけてゐるのである。
 光田園長は、「彼女等の患者に接するや、診療の親切なるに加ふるに
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