自分の判断の基準に迷ふのである。
これは急にどうするといふわけにいかぬかも知れぬが、万止むを得ざれば、非常手段はいくらもある。要はそこに当局が気がつくかどうかである。
例をあげればいくらもあるが、いづれも、結果は個人の問題になるからそれはやめる。
徒らに国民の好奇心を刺激しておきながら、事実の論理的解釈を無視したり、努めて教訓的であらうとして却つて責任のあり場所を疑はせたりすることは枚挙に遑がないくらゐである。
それをぼんやり聞き流すものもあるには違ひないが、今は、常識のあるものならば、きつと、首をひねつてゐるのである。個人の手ぬかりはしかたがないとして、それをそれですませていゝ時代であらうか? これがいつまでも改まらないのは、気のついたものが黙つて放任しておくからである。
仮にも、国家の総動員といふことが云はれ、対外的にも、政府の発表は、公に国家の意志と頭脳の働きを示し、国民の文化程度を計る最も端的な資料となり得るものであるから、国民自身が納得するしないは別として、これが果して、国外にどう響くかといふことを考へると、転た寒心に堪へない。
現在のやうな情勢における政治の権威
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