相によつてなされ、陸相がこれに賛意を表したといふいきさつまで附け足してあることだ。かういふやうな内輪話はこの際、国民はちつとも聞きたくないのである。この発表は公式のものかどうか疑はしいけれども、この種の楽屋落的報道は、政界浮浪者の「小感情」に愬へる興味しかなく、国民の望むところは、もつと堂々たる形式で、決まつたことを決まつたと知らせて貰ふことである。
由来、政府側の諸種発表と、これを取扱ふ新聞の態度とに、私は、もつと時局に応はしい慎重な研究を要求するものである。この統制ができなければ、国民全体の足並を揃へさせることなど考へるだけでも無理である。
ヂヤアナリズムのことはあとで述べるつもりだが、差当り、政府当局に希望したいことは、国民に知らせねばならないこと、知らせてもいゝことを、もつと上手に、国民の心理にぴつたりと来るやうな方法で知らせてほしいといふことである。知らせるわけにいかぬことがいろいろあるといふことを、われわれは百も承知してゐるのであるが、知らせなければならぬことさへも、その知らせ方があまり押しつけがましく、無味乾燥であるために、国民は、やゝもすれば、これに耳を傾けながら、自分の判断の基準に迷ふのである。
これは急にどうするといふわけにいかぬかも知れぬが、万止むを得ざれば、非常手段はいくらもある。要はそこに当局が気がつくかどうかである。
例をあげればいくらもあるが、いづれも、結果は個人の問題になるからそれはやめる。
徒らに国民の好奇心を刺激しておきながら、事実の論理的解釈を無視したり、努めて教訓的であらうとして却つて責任のあり場所を疑はせたりすることは枚挙に遑がないくらゐである。
それをぼんやり聞き流すものもあるには違ひないが、今は、常識のあるものならば、きつと、首をひねつてゐるのである。個人の手ぬかりはしかたがないとして、それをそれですませていゝ時代であらうか? これがいつまでも改まらないのは、気のついたものが黙つて放任しておくからである。
仮にも、国家の総動員といふことが云はれ、対外的にも、政府の発表は、公に国家の意志と頭脳の働きを示し、国民の文化程度を計る最も端的な資料となり得るものであるから、国民自身が納得するしないは別として、これが果して、国外にどう響くかといふことを考へると、転た寒心に堪へない。
現在のやうな情勢における政治の権威
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