学科学と方々でやかましく云ひだした、その動機が如何にも浅薄で外聞がわるい。云ふまでもなく、独逸軍の優勢を、科学の勝利とみることによるのであらうけれども、それはフランスの敗因が、芸術尊重の精神にありと考へるやうなものである。なるほど、独逸の科学兵器(この名称もをかしなものだが)は、英仏のそれよりも一歩進んでゐたことは事実として、また、赫々たる戦勝の主なる原因の一つをこれにおくのもよいとして、それは科学そのものが特に優れてゐたといふよりも寧ろ、「科学の軍事的利用」に於て、彼に一日の長があつたといふ方が正しいと思ふ。
 周知の如く、科学的精神と戦闘的性能とは、本質的に別個のものとして考へなくてはならないのである。たゞ、この二つのものを武力の機械化として結びつけるのが、おそらく用兵及び造兵技術の究極の目的であらう。そして、そこには、芸術家の想像に近い、破壊と抵抗の夢があるのである。
 戦闘に於ける科学の優位を今更他国に数へられて、若し、われわれの国民教育の重点をそこにおかうとするやうな傾向が生れたら、私は、その本末転倒を嗤はずにはゐられない。
 もちろん、日本人は甚だ「科学的」でないといふ一般の事実を否定はせず、もつともつと、この点では、教育の根本的刷新が必要であると私も考へてゐる。しかし、「科学教育」の目的は、仮に、目前の戦争に役立たしめるにあるとしても、決して、軍用器材の発明やその操作に向けられるばかりで満足すべきではない。しかもその「科学教育」に先だつてなさるべき多くの基礎工作が最も必要なる教育界の現状に於てをやである。つまり、「科学」といふものを、さういふものだと思ひがちな大多数の指導者の頭を改良することが急務だといふ意味である。
 新内閣と云へば、その首班たる近衛公の胸中には当然、一大決意がひめられてゐると思ふが、いづれも公の眼識によつてそれぞれの椅子を与へられた閣僚諸氏は、その抱懐する政治的理想をこの機会に達成せんと努力するであらう。国民は日々の新聞を待ちわびて、閣議のニユースに眼を吸ひ寄せられてゐる。折も折、松岡外相の提議にかゝるといふ官吏の恩給問題が具体的な唯一の事項として報道面に浮びあがつた。なるほど、これも機宜に適した議論に相違ない。しかしながら、われわれの期待に比して、なんといふ些末な事項の大袈裟な発表であらう。殊に不可解なのは、この問題の提案が松岡外
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