、特に私の興味を惹いたのは、偶然、この文章のなかで私が指摘した「科学と道徳とは対立するものでない」といふ思想を、文相自身もはつきりこゝで強調してゐることであつた。これまた、近頃の政治家には珍しい声明であつて、国民はこの見識のもとに生れる将来の文教政策には満幅の期待を寄せていゝと思ふ。
 たゞ、如何なる正しい企図も、社会の現実に直面しては、よほどの決意と政治的手腕なしには、これを具体化することは困難であらう。国民は当路責任者の善き意志を知つたならば、極力その方策を支持し、万難を排して目的を達成し得るやう努めなければならぬ。
 そこで、「国民教育」全般に亘つての改革が必要とされるが、既に前内閣に於て小学校を国民学校とする新制度の発表も行はれ、教授課目の内容についても、一応形式上の整理を見たのである。しかしながら、およそ教育の精神とその実践の効果については、まだわれわれは多大の疑問を抱いてゐる。なぜなら、小学校を国民学校と改称するといふやうな「名目尊重」の気風が現在の指導階級に瀰漫し、一種安易な独善主義ともなり、真の改革に何が必要であるかを忘却してはゐないかといふことを懼れるからである。
 私は、政治技術として、何を先にし、何を後にすべきかといふやうな問題には不案内であるが、是非これだけは考へてほしいと思ふことを列記して見る。
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一 初等、中等学校教員の待遇をもつとよくすること。第一に俸給の率を、少くとも現在の倍ぐらゐにすること。最少限度に必要な自修の余暇を与へること。適当な国家的賞与と軍人並に社会的恩典を与へることなど。
二 教科書の編纂に当り、各科目を通じて、陳腐な教科書臭を脱するため、局外識者の協力を求めること。例へば国語国文読本の如き、この方法によつて一層時代に適応したものとなるであらう。当事者は自己の領域に鑑みて、それだけの雅量を示してもらひたい
三 日本人の多くが、自分の考へを、公にはつきり口で云ひ表すことができない。その原因を私は教育者一般に考へてもらひたいが、差当り、文部省でこれが研究調査のための委員会を作ること。初等学校に於ける「話し方」の重要視は最近の現象として私も注意してゐるが、これを技術としてばかりでなく、むしろ心理的に、風俗的に見て教育の方針を樹てゝほしい。
四 中等学校、殊に専門学校、大学の数の制限と
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