んかと一考したる上なり。
しかも、それを以て、直ちに、作者の「全人格」を早断するは当らず。まして、作者の「道徳」を批判するは当らず。何となれば、世にも唾棄すべき「人物」を描いて、作者は、何等之に「道徳的批判」を加へざるのみか、その人物の行動に一種の「魅力」をさへ与へんとせるが如き場合、之を以て、直ちに、作者が、此の人物に好意と同情をもち、此の人物の行動を是認せりと思ふは誤りなればなり。作者は、此の人物を、単に「芸術家として」観うればなり。描きうればなり。
日本近来の批評家、動もすれば、此の消息を忘れて、芸術的作品を、より多く、人間的交渉の上に立ちて論じ、芸術家を、より多く社会的見地より月旦せんとする風あるが為めに、創作は日を追ふて生彩と香気を喪失し、自己弁護的調子と道学者流臭味とを盛らざれば小説に非ず、戯曲にあらずと思惟するに至れり。
芸術的作品は、たゞ、芸術的であればよし、作家は、その中にて、たゞ、優れたる芸術家であればよし、それが、それだけであることさへ、誰にでも出来ることではなきなり。
芸術的であることとは如何。
芸術家であることゝは如何。
面白き問題なり。
諸君
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