合に、必ず、その中の人物に作者を結びつけて、その人格を云々せざれば承知せざる批評家あり。
 作品は巧みに書かれあるも、主人公の人物が気に食はず、故に、此の作品は面白くなしと云ふなり。
 主人公の人物が気に喰はず、その性格に同情がもてず、女を追ひ出すとは不都合なり、どうして、あゝ酒ばかり飲んでゐるのか、扨ては、資本主義的なるは時代遅れなり云々などゝ、さも、自分の子供か友人に対してゞも云ふやうなことを云つて、それを今度は、作者に持つて行き、此の作者はまだ人間的修養が足らず、風格が出来てゐず、オツチヨコチヨイなるべしなどゝ罵倒す。
 一寸、これ、困りたるものなり。
 なるほど、作品を通じて、作者の一面を窺ひ得ることは事実なり。作品種篇を通じて、作者の面影を、ほゞ察し得ることは事実なり。
 而も、作中の人物と、作者その人とは自ら区別あるのみならず、全然正反対の性格、気質、趣味を備へたる場合なかなか多し。作中の人物を通して作者その人を知るは、たゞ、その作中の人物が、如何に観られ、如何に取扱はれ、如何に描かれて在るかを知りたる上、かく観、かく取扱ひ、かく描く処の作者とは果して、如何なる「人間」なら
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