談《じやうだん》でなく、先生……。
津幡 よくもつて、明日の朝まででせう。ことによると今夜……。
卯一郎 今夜? はゝあ、誰がですか。他所《よそ》の患者ですか。さうなると、もう口も利けますまい。人の顔も見分けられんでせう。
津幡 無駄でも、とにかく、手当だけはしておきませう。(鞄から注射器を取り出す)
卯一郎 手当?
津幡 奥さんはお留守ですか。
卯一郎 いや、奥さんはゐなくつてよろしい。手当の必要はない。薬は一切禁物です。
津幡 しかし、一応は……。(毛布をまくる)
卯一郎 一応も二応もない。注射は大嫌ひです。(拒む)
津幡 どうしてもいやですか。強心剤です。
卯一郎 断然、いやです。
津幡 医者の責任だけ尽さして下さい。
卯一郎 患者の自由意志にお任せなさい。
津幡 万一の奇蹟といふこともあります。
卯一郎 奇蹟なら、あんたにお願ひはせん。第一、医者の口から、奇蹟とは何事です。あやふやな診断は御免蒙りませう。
津幡 あやふやかどうか、明日の朝までにはわかります。
卯一郎 おほきに。明日の朝、もう一度お目にかゝるとしませう。
津幡 結構です。死亡証書
前へ
次へ
全44ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング