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この時、また、医師津幡直が、案内なしにはひつて来る。医師二人は、顔を見合せて驚く。
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津幡 いよう。
松原 いよう、失敬……君が診《み》てたのか。
津幡 さういふわけでもないんだが……。
卯一郎 やあ、津幡先生……どうも、恐れ入りました。先ほど、電話をおかけしましたら……。
津幡 えゝ、ちよつと、往診に出かけてたもんですから。……ぢや、僕は、引き上げませう。
松原 いや、君にお委《まか》せしよう。
卯一郎 まあ、まあ、さうおつしやらずに、ひとつ、御相談の上、よろしく……。
松原 僕はもう済んだんだ。まあ、いゝから、プルスをみてみ給へ。
津幡 (卯一郎の脈を取り)ふむ……。こいつは弱つたな。(胸に聴診器をあて)ふむ……これや、いかん……。(急いで鞄をあける)
卯一郎 (恐る恐る、しかも、強ひて微笑を浮べながら)いけませんか。
津幡 手遅れです。お気の毒ですが、もう見込はありません。
卯一郎 (なほも、否定的な微笑を続け)手遅れ? 見込がない……? (甚だ不自然な笑ひ声をたてる)戯談《じやうだん》でなく、先生……。
津幡 よくもつて、明日の朝まででせう。ことによると今夜……。
卯一郎 今夜? はゝあ、誰がですか。他所《よそ》の患者ですか。さうなると、もう口も利けますまい。人の顔も見分けられんでせう。
津幡 無駄でも、とにかく、手当だけはしておきませう。(鞄から注射器を取り出す)
卯一郎 手当?
津幡 奥さんはお留守ですか。
卯一郎 いや、奥さんはゐなくつてよろしい。手当の必要はない。薬は一切禁物です。
津幡 しかし、一応は……。(毛布をまくる)
卯一郎 一応も二応もない。注射は大嫌ひです。(拒む)
津幡 どうしてもいやですか。強心剤です。
卯一郎 断然、いやです。
津幡 医者の責任だけ尽さして下さい。
卯一郎 患者の自由意志にお任せなさい。
津幡 万一の奇蹟といふこともあります。
卯一郎 奇蹟なら、あんたにお願ひはせん。第一、医者の口から、奇蹟とは何事です。あやふやな診断は御免蒙りませう。
津幡 あやふやかどうか、明日の朝までにはわかります。
卯一郎 おほきに。明日の朝、もう一度お目にかゝるとしませう。
津幡 結構です。死亡証書
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