する。

 食ひ物は、どんなものでもそれを食つてゐる時だけしか僕の頭を支配しない。つまり、何が食ひたいと思つたことは、これまで殆んどない。だから、外に出て、食事頃になると、「何を食はうか」といふ問題で、可なり迷ふ。その為めに、とうとう何も食はずにしまふことがある。結局、何も食ひたいものがないわけであらう。
 かういふ時、アスピリン見たいな錠剤を一つ飲んで置けば、腹がふくれるといふやうな、さういふ食ひ物を誰か作つてくれないかなあと思ふ。
 家にゐても、三度三度食卓につくのが面倒でしやうがない。
 食つて見れば美味いと思ふものもあるにはあるが、それはその場だけの話。
 味感の記憶――四ツか五ツの時、馬丁に連れられて、何処か裏通りの駄菓子屋へ行き、生れて初めてラムネを飲まされた時のあの印象深い舌ざはり。
 巴里ソンムラアル街の屋根裏の一室で、画家Oが心尽しの茶飯一椀。
 何時の頃からか、僕は飯を慌てゝ食ふ癖がついた。
 本郷辺で下宿生活をしたことがある。あの時分、僕は、決して膳の前に坐つたことがない。中腰でかき込んだ。眼をつぶつて汁を啜つた。沢庵をしやぶつて吐き出した。
 チイスならキヤマン
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