、しかし、そんなものは結局血肉とまではならぬ衣裳であり、仮に血肉の一部となつてゐたにせよ、それ以上の深さと力とをもつてわれわれの生活の枢軸を動かすところのものは、やはり、東洋的、日本的教養の重積である。ところが、この東洋的、日本的教養なるものゝ正体は、これを今日の言葉で「文化」と呼んでは、なにか少し的が外れるやうなところがあり、三枝氏が、それは「道」であると云はれゝばなるほどさうかも知れぬとは思ふが、しかし、それはまだ私の考察の力では断定がつかぬ。或は「嗜み」といふ言葉など当らぬであらうか?
それはさうと、小川正子女史の「小島の春」といふ本を、私も大へん面白く読んだ。これについては近く纏つた感想を書く筈になつてゐるが、たゞ、この珍しい手記のなかで、やはり、「日本人」の問題をとらへることが私には容易であつた。つまり、日本には今なほどうして癩患者がそんなにゐるか、そして、それに対する国家的、社会的施設がなぜそれほどおくれてゐるかといふ疑問、――寧ろ憤慨に似た気持のうらで、それは、なるほどかういふ「特別な事情」があるからだといふ安心が私を救つたのである。しかも、その事情とは、日本人が必ずし
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