或る批評
岸田國士

「わたしは、ヴイルドラツクが、海水服を着てゐるところを見たことがない」と、サヴイツキイ夫人は云ふ――「わたしは、また、『休んでゐる彼』を見たことがない。……彼は真面目である――しかし、模範学生の真面目さではなく、学校へ行くことは嫌ひだが、学校から帰つて来て、母親の笑顔を見るのがうれしくて堪らない小学生の真面目さである。」
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 夫人は更に云ふ――「文学者又は芸術家の顔の中には、何かしら、一種抽象的な存在――それは常にいくらか女性的な――が伴つてゐるものである。よく見ると、それは、名誉、祖国、情熱、皮肉……などによつて象徴される姿である。ヴイルドラツクの場合は、それが、何んであるか、はつきり云ひ表はせない。恐らく、名のつかないものだらう。」
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「どんな人間でも、シネマで、眼だけ出した黒いマスクをつければ、悪漢の役に見えるだらう。ヴイルドラツクには、それが出来まい、彼は、赦す眼、与へる眼、愛する眼しか有つてゐない――奪ふ眼、捕へる眼、犯す眼を誰でも有つてゐるものだのに。」
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「露西亜の農民は、昔、『憐む』
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