己を嘲笑ひ、友情の重さを秤りにかける彼、そして、浮気をしない亭主とはこの世で一番しよんぼりした男であることを認める彼が、たゞ望んで獲た女なるが故に妻を貴しとする筈はないのである。
マリネツトとは、どんな女性であつたらうか?
二人はある日、墓地を散歩した。彼女は、一つの墓石の前に跪き、その表面へ指で――それゆゑ跡は残らないが、――二人の名前を書いた。
その時の、彼ルナアルのしんみりした顔附を想像するのは、これは読者の当然な権利である。
聡明で、聡明なるが故に単純で、貞淑で、貞淑なるが故にコケツトな一人の女性を考へてみることもできる。
再び云ふが、結婚後十年、稀代の拗ね者、純日本的照れ屋ルナアルをして、野に菫を摘ましめ、これを妻への土産とせしめたものは、たゞ単に、孤独な魂の感傷にすぎないであらうか?
彼は結局、妻のすがたを次のやうに描いた。
――パジイへ散歩。私は林を抜ける、感じのいゝ道を選んだ。ところが、まるでどろどろの道だ。泥の中に踏み込むたびに、マリネツトは、「なんでもないわ」とか、「もう大丈夫、心配しないで。草のなかで足を拭くわ」とか云ふ。こんな風に、泥だらけの道に
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