も文句を云はない女、それは、生活を恐れない、いゝ道連れだ。
――ところで、この頃はもう、私は小さな子供みたいにしてゐる。私はマリネツトに云ふ――お前には、母性の本能をすつかり満足させてくれる申し分のない子供が出来たんだよ。その子供は、先づ、なんでも赦して貰ひたがつてるんだ。仕事をしないでもあんまり叱らないでくれつていふんだ。さうして、全然なんにもしないでゐられゝば、いつまでも喜んでるんだ。
マリネツトは私にすべてを与へてくれた。私の方は、彼女にすべてを与へたといへるだらうか! やつぱり、私のエゴイズムはそつくりそのまゝ残つてゐるやうな気がする。
私が彼女に、「率直に云つてくれ」と云ふ時、彼女は私の眼の色で、どこまで本当のことを云つていゝか、といふことをちやんと読みとる。
これは、私が愛してゐると、確信できる唯一の人間だ――それから私自身と。が、まだ私自身の方は……。私はよく、自分で自分に嫌悪の蹙め面をさせることがある。さうだ、彼女を私は非常に愛してゐる。しかも、決して私が見損つてゐるわけではない。
恐らく、彼女は私のことが不安になつて、そして、自分でかう云ひきかせたのだらう――「自分を救ふ道はたつた一つしかない。あの人を絶対に信頼することだ。さうすれば、決してやり損ふことはないだらう。知らないで万一やり損つても、あの人が教へてくれるだらう。さうして赦してくれるだらう」と。
時々、彼女が子供たちを見守つてゐると、実に子供たちに近く見えて、まるで子供たちは彼女の二本の枝みたいだ。
彼女の心はその眼に表はれてゐる薔薇色の心だ。太陽のやうな心だ。
彼女の眼の底には、網膜の上には、愛情にも曇らされない一つの鏡、一つの小さな部分があるのだらうか。そして、そこには私も美しくは映らないのだらうか?
彼女の剥き出しの腕には涼味がある。
私にはマリネツトがある。私はもうなんにも要求する権利はない。
彼女のそばでは、私は、「俺の作品は……」とか、「俺の特質は……」とか、「俺の才気は……」とか平気で云へる。そして、少し躊躇しながら、「俺の才能は……」とも云へる。彼女はかういふ云ひ方を実に自然に受け取つてくれるので、私の方でも、ちつとも気はづかしさを感じない。
彼女が私をよくしてくれたかどうか、それははつきりわからない。然し、見たところは確かによくなつた。
彼女が
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