私のおかげでひどい貧乏をするかもしれないと思ふと、胸がつまるやうな気がする。
然し、私は大急ぎでかう考へる。――「彼女はきつと、立派にそれに堪へてくれるだらう。さうして、ますます俺を愛してくれるだらう」
彼は仏蘭西に生れ、作家となり、しかもその作品のうちで、一度も「姦通」を描かなかつた珍しい人物である。恐らく、この種の空想は、彼には堪へられないものであつたに違ひない。ある作家について、彼は軽蔑の口調を以て云ふのである――妻に裏切られても傑作が書けさへすればいゝと思つてゐるやうな男――と。
しかし、その彼も屡々夫婦生活の危機を問題とした作を書いてゐる。『日々の麺麭』や『ヴエルネ氏』の如きは、それである。
『日々の麺麭』の女主人公マルトには、たしかに彼の祈願が籠められてゐる。
「……アルフレツドを騙さうなんて気は、毛頭ありませんわ。それにしても、決して騙さないつてことが確かにわかつてたら、それやつまりませんわ、あたくし……」
これが美しい人妻マルトの言葉なのである。夫の友人で、彼女を讃美する男に対する婉曲な防禦である。
彼女はかうも云ふ――
「永久に節操を守るなんていふ誓ひを立てたくないんですの。真面目な女でも、あたくしは、時として自分の抵抗力を疑ふ真面目な女ですわ……」
作家ルナアルの「女性」は、彼の「言葉」の如く陰翳に富み、男心の隅々までを知り尽してゐる。
妻マリネツトの面影が、そのまゝこのマルトの中に映つてゐるかどうかは疑問である。恐らく、本質的に別個なタイプのやうであるが、彼が女性、殊に、「自分の女」に求め、望むものは、彼のエゴイズムと、脆さに対する趣味との惨憺たる摩擦から生ずるものであつて、彼の愛妻心理も亦尋常一様なものではないにきまつてゐる。(「婦人公論」昭和十年十二月)
底本:「岸田國士全集22」岩波書店
1990(平成2)年10月8日発行
底本の親本:「現代風俗」弘文堂書房
1940(昭和15)年7月25日発行
初出:「婦人公論 第二十巻第十二号」
1935(昭和10)年12月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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