クスピアを十分に理解し、味得する上の一つの妨げとなつてゐるといふことはほゞ想像し得られるのであります。エミール・ファゲにしろ、或ひは Lemaitre といふやうな、いはば非常に悧巧な、頭のいゝ批評家でさへも、シェイクスピアの殆んど三分通りはわからなかつたやうな批評をしてゐます。例のゲーテが言つてゐますやうに、シェイクスピアは次第にわれわれの眼前にその作品の神秘なものを展開してくれるのであるが、そもそも作品の何処にその謎の言葉があるかといふことは容易に明言が出来ないのです。フランス人はその何処に謎の言葉があるか容易に言へないのがもどかしいのです。そして、そのもどかしいのがフランス人にとつては禁物なのです。フランス人はどういふ微妙なことでも、明言しなければ承知しない。言ひ表はさなければ承知しない。また言ひ表はせるといふ確信をもつてゐる。そして、その自尊心を甚だ傷つけるのがシェイクスピアの作品であるのです。で、ジェミエは言つてゐます、人類の最後のゼネレイションに到つて、初めてシェイクスピアの新しい意味が解かれるだらうと。これはシェイクスピア党にとつては甚だわが意を得た言葉であると同時に、ち
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