ジヤン・コクトオ作「恐るべき子供たち」
岸田國士

 日本の「若い時代」が、ジヤン・コクトオを愛読しはじめた。現代仏蘭西の生んだ、この驚くべき才能は、世界の隅々に、多くの模倣者を出しつゝあるやうである。模倣者に罪はない。ジヤン・コクトオそのものは、新文学の見本製作者である。
 今度、東郷青児君を、この「日本のコクトオ」の中に加へることができた。かれは厳密な意味で文学にたづさはる人ではない。アヴアン・ギヤルドの画家としてかれを知る人は、小説の翻訳がかれの手から生れたことを、やゝ意外に思ふだらう。

「恐るべき子供たち」、この日本語の題名は、多分様々に解釈されるであらう。テリイブルは「恐るべき」の意に相違ないが、更に説明的に訳すると「エキストラ・オルヂニエル」である。「何を仕でかすかわからない」である。「箸にも棒にもかゝらない」である。誠にこの物語の小主人公等は、異常な素質によつて、異常な生活に踏み込んで行くのであるが、そこに描かれた環境は、ロマネスクな絵空ごとでなく、鋭利細密な観察に基づく近代一社会層の解説であり、雪玉で胸を裂かれた少年が、遂に毒薬の塊りに歯を当てるまでの運命は、善と悪、
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