躍如としてゐるからである。
彼は今年幾歳になるか知らぬが、十六の時から詩を作り、二十の頃初めて「無冠の帝王」といふ戯曲を書いた。彼の云ふところに従へば、その前にも戯曲を書いたが、それは「上演不可能」なもので、題は、「新しきキリストの悲劇」とつけたさうである。「無冠の帝王」は千九百六年に上演されてゐる。
彼は何よりも単純である。その単純さは、しかし、一種信仰に似た力と共に、作品にかのお伽噺のもつ神秘さを与へ、時によると、彼自ら主張する如く、最も惨めな現実の中に崇高な夢を、最も平凡な人間の中に力強い生命を吹き込むことに成功するのである。
兎も角、「子供の謝肉祭」一篇を読んで先づ感じることは、彼が芸術家である前に、最も善良な人間であるといふことである。一体、あまりに善良であるといふことは、動もすると退屈である。これは悲しむべき人生の皮肉だが、どうも仕方がない。私は、此の戯曲を最初読んだ時に、それほど面白いとは思はなかつた。ところが、嘗て千九百十年に此の戯曲が上演された時の記録によると、更にまた、千九百二十三年、国立劇場コメディイ・フランセエズが、特に此の戯曲をその上演目録中に加へた結果
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