サン・ジョルジュ・ド・ブウエリエについて
岸田國士
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)良識《ボン・サンス》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「宀かんむり/婁」、72−4]す
−−
「わたくしは、ただ、自分の欲求に従ひ、只管霊感に耳を傾けて、劇作の筆を取り始めました。流行の誤れる趣味、因襲の命ずる手段術策はこれを顧みる気にさへならなかつたのです。わたくしは、ただ、人生研究に憂身を※[#「宀かんむり/婁」、72−4]す一介の徒弟でありました。それは光と影とを併せ有ち、その中に神秘の姿を織り込んでゐるいとも弱き人生であります。わたくしは、まだ名も知らない、誰も十分に究めたことのない、まことに危ふい道を進んだのです。」
これは、ブウエリエが、批評家ブリツソンに宛てた献呈語の一節である。また、
「此のささやかな戯曲――そこでは、愛と死との運命が奇怪な戯れを演じてゐるこの戯曲は、ジヤック・ルウシェ君の手によつて、美術座開場初興行の舞台にかけられた。……ジヤック・ルウシェ君は、主として舞台装置の芸術的革新を唱導した。此の「子供の謝肉祭」によつて、極く僅かの様式が、最も単純な外貌に如何に美を添へ得るかを人々は知つたのである。」
と、彼は、此の戯曲の跋文に述べてゐる。彼は、なほ、その役々の出来映えについて、出演俳優の悉くに感謝の意を表した後、再び此の戯曲について自ら語つてゐる。曰く、
「此の戯曲が――しかも何等企むところなき此の戯曲が受けたかくも熱烈な、また意外にもかく懇篤なる世評を想ふとき、わたくしは、真を求むる心が常にある反響を呼ぶといふ一事を信じないわけにいかない。わたくしは真実を写す作品を書いた。公衆はわたくしがその中に籠めた大なる感動の叫びを聞いたのだ。しかも、わたくしは、その叫びの、あまりに高からんことを恐れたのである。凡そ、芸術の効果は、控え目といふことにある。わたくしは、人生を包まず露はすところの演劇を愛するが、その中で、作者がその思想を絶叫する演劇を好まない……云々」
作者が、自著が、自ら何を云はうと、それを言葉通り享け容れることは危険であるが、以上の文字をここに抜いた理由は、これだけの中に、戯曲家ブウエリエの面目が
次へ
全4ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング