のであることを、いつまでも念頭に刻み込んでおかなければ、結局、目標を見失ふことになるだらうと、やや空おそろしい気がして来た。
 が、それは、実際、自分だけの問題ではなくて、日本の新劇全体に関する、痛切な問題であるかもしれない。殊に、俳優諸君は、この目標に対して、今はつきり、眼を据ゑるべき時機だ。今までの新劇は、いはば僕等の幻象《イメエジ》にやつと浮ぶ程度の舞台を見せてゐたのである。俳優の立場からは、そんなことでは駄目なのである。それで芝居が面白くならう筈はない。舞台が独立した魅力を発揮し得る道理はないのである。
 最後に、ララ夫人が、「森」と題する男女混声の詩的朗誦に於て、甚だ示唆に富む試みを企て、「言葉の交響楽」ともいふべき一新形式を組立ててゐるのを知つた。僕が予て考へてゐた「純粋演劇」の方向に、正しく一歩を踏み出したものとして甚だ興味を惹かれたが、かういふ先駆的な努力を絶えず続けてゐるララ夫人に、僕は遥かに敬意を表する。
 ただ、この方面で、今後どれだけの発展が期待されるか、今のところ、僕には見当がつかぬ。(一九三三・五)



底本:「岸田國士全集22」岩波書店
   1990(
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