クロニック・モノロゲ
岸田國士

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)倚《よ》りかゝつて

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|切《さい》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]
−−

[#ここから5字下げ]
海岸の小さな貸別荘。

舞台は八畳と六畳の二間続きで、八畳には籐椅子、テーブルの他に本箱、寝台、六畳には、同じく寝台を中央に、箪笥、屏風、鏡台、衣桁、長椅子。
奥は一間の張出窓、硝子戸が締めてある。

長椅子に、女が倚《よ》りかゝつてゐる。女は毛糸の襟巻をし、腰から下を毛布で包み、紙人形をこしらへてゐる。
時々、歌を口吟《くちずさ》むのだが、すぐに息切れがするので、そのたびに、大きく溜息をつく。
ほゞ形の出来上つた人形を、明りに照してみながら、
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
女  どうして、今日《けふ》はかう遅いんだらう。また悪友に引張られて、銀座をうろつき廻つてるんだわ。終列車に乗り遅れたつて、知らないから……。四円四円つて馬鹿にならないのよ。はゝゝゝ、なるほど、肩が怒りすぎてるわ……。どうも、ピエロの感じが出ないと思つた……。こらこら、もつと肩をおさげ……。今、眼の縁《ふち》を青く塗つたげるからね。そうら、うまい工合に月が出て来たぢやないの……。明日籾山先生がいらつしやるまでに、ちやんと出来てないといけないわ。あの先生は、何かしら、あたしにお世辞が云ひたくつてしやうがないのよ。そろそろ種《たね》がなくなつて困つてるに違ひないわ。(歌を唱ふ。やがてまた、溜息をつく)あゝ、苦しい。いやんなつちやふなあ、歌も唱へないなんて……。思ひきり大きな声を出して、また……(急に口を噤《つぐ》む)よさう、まだ生きてれば、なんかしらいゝことがあるわ。あと一月《ひとつき》の辛抱だつて、先生もおつしやつた。さうすると、いよいよ東京へも帰れるし、お友達にも会へるし、……さあ、これでよしと、ズボンがちつと細かつたかな……。まあいゝや。(また歌を唱ひはじめる。が、長くは続かない)どれ。お化粧にかゝるとして、動くのは寒いな。(ゆつくり起き上らうとする)

[#ここから5字下げ]
電燈が突然消える。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
女  あら、随分だわ。今頃停電なんて、どうかしてるわ。

[#ここから5字下げ]
その時、窓の外へ覆面の男が忍び寄り、そつと硝子戸を開けていきなり躍り込み、女の後から抱《だ》きつく。女は悲鳴をあげてその場に倒れる、覆面の男は、素早く窓から飛び出し、姿を消す。
長い間。波の音、時計が十二時を打つ、やがて、玄関の格子が開き、人の上つて来る気配。次いで、部屋の中へづかづかとはひつて来た男、外套と帽子を着たまゝ、片手に買物の包みをさげてゐる。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
男  どうしたんだ。明りをみんな消して……、もう眠《ね》たのかい。(手探りで、電燈のスヰッチをひねつてみるが……)おや駄目ぢやないか。をかしいな。隣りは点《つ》いてたぜ。シイ坊、ちよつと起きろよ。何時《いつ》から消えたんだい。おい、シイ坊……戯談《じやうだん》ぢやないぜ……。(寝台に近づかうとして、そこに倒れてゐる女のからだにつまづく)あツ! ど、ど、どうした、シイ坊。しつかりしろ、おれだよ、こら、おれだつてば……。あゝ、なんだつて、こんなに急に……。おれが悪《わる》かつた……遅くなつてすまなかつた……。おい、シイ坊、勘弁してくれ……。待つてろよ、すぐ医者を呼んで来るから……。あツ……この血は……これや傷ぢやないか。傷だ! 刃物の傷だ……。心臓をやられたな。畜生! 馬鹿な真似《まね》をしやがる……。(さう云つたかと思ふと、声をあげて泣き出す)誰がこんな……こんな酷《むご》たらしいことをしたんだ。シイ坊、お前は、そいつの顔を見たか。覚えてゐるか? いや、きつと、暗闇《くらやみ》で、わからなかつたらう。だが、そいつは、お前に遺恨でもあつたのか。それとも、ほかに目的があつて、こんな手荒《てあら》なことをしたのか? さうだ、愚図愚図《ぐづぐづ》してないで、とにかく警察へ届けよう……いや、慌《あわ》てちやいかんぞ。おれとお前との間には、何ひとつ秘密はない筈だが、万一さういふことがあるんだつたら、他人が知る前に、おれが、知つておかなけれやならん。(女のそばから離れ、蝋燭を出して火を点《つ》ける。それから、先づ第一に枕の下、箪笥と鏡台の抽斗《ひきだし》、ハンドバッグの中、その他あちこちを引つかきまはす。最後に手紙の一束を取り出し、それを、順々に読む。がこれはと思ふものは、遂に見当らない)おれがこんなことをするのを、お前は、さぞ不愉快に思ふだらう。しかし、お前の不幸な最期を、他人の忌《いま》はしい推測で汚したくないのだ。ぢや、いゝかい、もうしばらくさうしておいで、今、警察へ電話をかけて来るから。(静かに、部屋を出ようとして、不意に立ち止り)ところで、問題が一つ残つてゐるぞ。警官が来る。よろしい。検死が済む。それもいゝ。さて、犯人の目星をつける段になつて、一応、このおれに嫌疑をかけないだらうか! いやそいつはわからない。少くとも厳しい訊問を受けるにきまつてゐる。(椅子に腰をおろしてしまふ)ところで、その訊問は、どういふ風に行はれるか。万一、つまらん言葉尻を押へられて、動きがつかなくなるやうなことはないだらうか? さういう例もなくはないぞ。それには予《あらかじ》めかう訊かれゝばかう答へるといふ風に、相当準備をしておいた方がよくはないだらうか。ある事実を、うつかり忘れてゐたといふだけでも、それを隠してゐたと誤解されないもんでもない。思ひ違ひ、言ひ違ひ、曖昧な返答、下手《へた》な口籠り、云ひ方一つで善くも悪《わる》くも取れるやうなことは、余程注意しないと危《あぶな》いぞ。勿論、証拠がなければ、それまでのことだが、証拠ぐらゐ、どうかすれば、作ることだつて出来るんだからな。偶然が偶然と取られなければ、またそれまでだ。よし、さあ、なんとでも訊ねてくれ。すべてをありのまゝに答へるだけだ。この愕き、この悲しみの前に、一切の言葉は、たゞ真実を語るのだ。神も聴け、シイ坊も聴け、そして、世の中の妻をもつすべての男は聴け!(いきなり起ち上り、部屋の中を歩きながら、低く厳かに)――君の姓名は? 秀島辰夫……。――年は? 三十六歳……。――これはあなたの奥さんに相違ありませんね? 相違ありません。――名は? 静枝です。――年? 二十四。――何時《いつ》結婚しました? 昭和二年十月……。――籍は、はひつてますか? はひつてゐません。今年中にいれるつもりでした。――あなたの職業は? 現在無職です。以前、学校の教員をしてゐました。――現在の収入は? (長い沈黙)非常に不定ですが……家庭教師の口が時々……大方は友達から借りたり……それと、偶《たま》に勝負事で儲けることがあります。――勝負事つていふのは、どういふことだ? 公然とは云へないことですが……麻雀とか、花とか……。――何処で? それは云へません。――この婦人、つまり君の細君は君と結婚する前に、どういふことをしてゐた? どういふことと云ひますと……? 家庭にゐたのか、職業をもつてゐたのか? 家庭にゐました。たゞ母親が一時麻雀倶楽部をやつてゐました。従つて、その方の手伝ひは……。――よろしい。その場所は? 大森山王……番地は覚えません。浅見といふ家です。――一緒になる前に、別に異性との関係といふやうなものはなかつたかね? さあ、そいつは、保証できません――噂でもあつたのか? さあ、僕の口からはなんとも云へません。

[#ここから5字下げ]
長い沈黙。
やがて、また問答が続けられるのだが、今度は、問ひかける声が、男自身の口から発せられるのか、それとも、別に何者かが事実問ひを発してゐるのか、その区別がつかなくなり、遂に、それは明らかに、男彼自身の声でないことがわかる。即ち、何処からともなくある訊問者の厳かな、しかも職業的な声が漏れて来るのである。男は、極めて自然にその声に答へる。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
声――君は、今朝《けさ》家を出たんだね。
男――さうです。今朝九時に出ました。
声――何処へ行つた?
男――東京へ行きました。友達の家を二三軒廻つて、銀座で夕食を食つて……。
声――よし、それは後で訊《たづ》ねる。帰りは何時の電車へ乗つた? こつちへ着いた時間でもいゝ。
男――十二時何分かでした、駅へ着いたのが……。それから歩いて帰つて来ました。
声――何時《いつ》も歩くんだね。
男――いゝえ、バスへ乗ることもあります。東京からタクシイを飛ばすこともあります。
声――家へはひる時、何か異常な予感といふやうなものはなかつたか?
男――ありません。
声――電気が消えてゐてもか?
男――遅くなると電燈は消してあることがありますから……。
声――しかし、玄関の電燈は、すぐ点《つ》けてみたんだらう?
男――…………。
声――真暗《まつくら》では帽子を掛けることもできないだらう。
男――帽子は被《かぶ》つたまゝ、部屋へはひりました。それに、月が出てゐて、真暗《まつくら》といふほどでもありませんでした。
声――死体に躓いた時、すぐ死んでゐると気がついたか?
男――抱き上げてみてわかりました。無論、病人でしたから、急に容態が悪化して、そのまゝ……。
声――それほど重態だつたのか?
男――いえ、可なり元気になつてはゐましたが、病気が病気ですから、突発的に……。
声――そんな病人に一人で留守をさせるといふ法はないぢやないか。
男――それはさうですが、医者の云ふところでは、乱暴なことをしさへしなければ、絶対に危険はないさうです。それだけの心得は病人にも十分云ひ含めてあります。
声――こゝへ来てどれくらゐになる?
男――一年余りです。患《わづら》つてからは、もう三年になります。
声――病人の看護をするのが、そろそろ大儀になつてゐやしなかつたか?
男――いゝえ、決してそんなことはありません。妻は、僕の変らない愛情と心遣ひに感謝してゐました。僕も、どうかして早く癒してやりたいと、そのためにあらゆる努力を惜みませんでした。
声――たゞ、病人を抱《かゝ》へて、生活の不安と闘ふことは、君にとつて、負担が重《おも》すぎやしないか?
男――重《おも》すぎます。しかし、それを軽くするのには、第一に、病人を健康なからだにしなければなりません。方法はそれ一つです。
声――だが、病人は、君の苦労を察して、自分さへゐなければ、などと時には口に出して云ふこともあつたらう?
男――…………。
声――君の方でも亦、病人に、このまゝ長くかういふ状態を続けさせるよりも、いつそ、不幸な生涯を終らせた方が……。
男――いやいや、絶対に、そんなことは……そんな考へは、夢にも起したことはありません。その証拠に、医者の方で、一月《ひとつき》に一度ぐらゐ来ればいゝといふところを、一週に一度づつ来て貰つてゐます。僕は自分の食を節しても、こいつに滋養分を取らしてゐました。見て下さい。(買物の包みをひらき)これも、家内のために買つて来た肉汁のエキスと、葡萄入りのパンです。
声――現在、他《ほか》の女と恋愛関係はないかね?
男――恋愛関係といふほどのものはありません。道楽もなるたけ慎《つゝし》んでゐます。余裕がないからです。ともかく、僕は家内以外の女を愛してゐないことを明言します。
声――細君の方はどうだね、君の知つてゐる範囲で、特別に懇意にしてる男とか、内証で文通してる男とかいふのは……。
男――僕の知つてる範囲にはありません。仮令、さ
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング