偶《たま》に勝負事で儲けることがあります。――勝負事つていふのは、どういふことだ? 公然とは云へないことですが……麻雀とか、花とか……。――何処で? それは云へません。――この婦人、つまり君の細君は君と結婚する前に、どういふことをしてゐた? どういふことと云ひますと……? 家庭にゐたのか、職業をもつてゐたのか? 家庭にゐました。たゞ母親が一時麻雀倶楽部をやつてゐました。従つて、その方の手伝ひは……。――よろしい。その場所は? 大森山王……番地は覚えません。浅見といふ家です。――一緒になる前に、別に異性との関係といふやうなものはなかつたかね? さあ、そいつは、保証できません――噂でもあつたのか? さあ、僕の口からはなんとも云へません。

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長い沈黙。
やがて、また問答が続けられるのだが、今度は、問ひかける声が、男自身の口から発せられるのか、それとも、別に何者かが事実問ひを発してゐるのか、その区別がつかなくなり、遂に、それは明らかに、男彼自身の声でないことがわかる。即ち、何処からともなくある訊問者の厳かな、しかも職業的な声が漏れて来るのである。男は、極めて自然にその声に答へる。
[#ここで字下げ終わり]

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声――君は、今朝《けさ》家を出たんだね。
男――さうです。今朝九時に出ました。
声――何処へ行つた?
男――東京へ行きました。友達の家を二三軒廻つて、銀座で夕食を食つて……。
声――よし、それは後で訊《たづ》ねる。帰りは何時の電車へ乗つた? こつちへ着いた時間でもいゝ。
男――十二時何分かでした、駅へ着いたのが……。それから歩いて帰つて来ました。
声――何時《いつ》も歩くんだね。
男――いゝえ、バスへ乗ることもあります。東京からタクシイを飛ばすこともあります。
声――家へはひる時、何か異常な予感といふやうなものはなかつたか?
男――ありません。
声――電気が消えてゐてもか?
男――遅くなると電燈は消してあることがありますから……。
声――しかし、玄関の電燈は、すぐ点《つ》けてみたんだらう?
男――…………。
声――真暗《まつくら》では帽子を掛けることもできないだらう。
男――帽子は被《かぶ》つたまゝ、部屋へはひりました。それに、月が出てゐて、真暗《まつくら》といふほどでもありませんでした。
声――死体
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