ういふことがあつたとしても、ある程度までそれを許すことが、僕にはできたらうと思ふんです。家内《かない》が求めるものを悉く与へる力が、僕にはなかつたんですから……。
声――それなら、君は嫉妬といふものを感じたことはないか?
男――…………。
声――あるのか、ないのか?
男――それや、ないとは云へません。しかし、さういふ場合に、自分を嗤《わら》つてしまへばそれまでです。僕は女を信じないで、それをさほど苦痛とは思ひませんでした。家内《かない》も、さういふ点では僕に対して、これといふ隙を見せず、自然言ひがかりをつけやうにも、つける種《たね》がなかつたんです。
声――たゞなんとなく怪しいといふやうな素振りがあつたんだね。
男――あゝ、さういふ風に取れましたか。僕はそんなことを言つた覚えはありません。女を信じないのは家内《かない》と限つてはゐないんです。いや家内《かない》のことにしてもです。信じないといふ意味は疑ふ必要がないといふことです。瞞されても、瞞されたことにならないからです。さつき、嫉妬を感じたことがあるといふ風に云ひましたが、それは、例の愚にもつかない妄想の類《たぐ》ひで、女を愛したものなら、必ず一度は経験しなければならない情熱の小さな波紋です。
声――嫉妬の説明はそれくらゐでいゝ。それで君はこれまでさういふ感情を細君の前で、どんな風に現はしたか? 一例を挙げてみ給へ。
男――…………。
声――どんな場合でも、そいつを顔に出さなかつたとは云へないだらう。
男――待つて下さい。さういふ訊《き》き方をされると、僕は、なんて返事をしていゝかわからなくなります。自分の醜さを、正直に語れと云はれるなら、それはなんでもないことです。しかし、その後《あと》はどうなります。僕は今、罪の嫌疑から逃れなければならない人間です。そこをどうか、十分頭にお置き下すつて、自分に不利だと思はれることを包まず申上げる勇気をお買ひ下さい。僕は司直の明察に信頼します。真実はどんなに醜《みにく》くつても、罪がそこからだけ生れるとは限りません。
声――前置が長すぎる。事実を聴けばいゝのだ。
男――さうです。えゝと、もう一度問ひを云つて下さい。
声――だからさ、君が細君に対してなぜ嫉妬を感じたか、さういふ時、君はどんな態度を取つたか、それを訊《き》いてゐるのだ。
男――わかりました。実を云ふと、家内《かない》
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