あり、もう一つは、異国趣味に対するそれである。彼はアインシュタインの相対性原理(時は夢なり)とフロイドの精神分析(落伍者の群)とを通俗化し、和蘭と亜弗利加と南洋とを、運河と砂漠と竹藪によつて象徴させようとする。彼の描く人物は、概ね「考へる」以上に感じてゐる。しかしながら、時として、象徴的手法の失敗が、人物の性格を類型に陥れる場合がないでもない。之に反して、霊感一度到れば、その表現の鮮かさは、まさに、常人の企て及ばないものがある。
「大なる未来」を想はせる所以である。

 かう云ふと、彼の価値は、また法外に低く見られる恐れがある。わたくしが、日本ならば、老大家の列に加へらるべき年輩と閲歴ある彼を、仏国に於ける一新進作家として紹介し、あまつさへ日本ならば、一流の文人と比肩し得べき彼――ルノルマン君よ、何とでも云ひ給へ――の芸術を評するに、最大級の讃辞を用ひないその罪を、抑※[#二の字点、1−2−22]何ものに帰すべきであらうか。
 くれぐれも私の罪ではない。ルノルマン君よ、君が、仏蘭西といふ国に生まれた罪だ。



底本:「岸田國士全集19」岩波書店
   1989(平成元)年12月8日発
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