のない冷酷さで人間の弱点を嘲笑し、特権への復讐を快とする半面に、知らず識らず英雄主義、事大主義の虜となつてゐるのである。また、きわどさ、ざつくばらん、を愛しながら、秩序と、儀礼と紋切型を尊重し、絶えず、その両者に色目を使つてゐる。これらの矛盾を矛盾としてゞなく、即ち、矛盾であることを意識せずに、平然とその時々で、都合のいゝ自分をさらけ出すことのできる厚顔しさを身上とする。
従つて、大衆は安易を求め、自己の優越感を何等かの方法で満足させ、名目と実利との間を彷徨し、偶然をでつち上げることゝ破壊することゝをこもごもやることを楽しむのである。しかも、この「大衆の心」をある程度まで「人間の心」と一致させるのは、その民衆のその時代に於ける文化水準の高さである。
芝居や小説の大衆性とは、かゝる「大衆の心」に愬へるものであつて、現代日本の文化水準を考へたならば、今日の大衆の心が何に向つてゐるかを考へることは容易である。
私は、ロツパ劇の舞台を観ながら、見物が何をよろこんでゐるかを見ようとした。結局、彼等は、類型にしか興味を寄せてゐないことがわかつた。「人間的な人間」の面白さを、一歩手前で台なしに
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