にこれらの「新興劇団」は、今日までの芝居がもつてゐないものを、それ自身の性格のなかに併せもつてゐるのである。つまり、「現代の空気」と、「大衆の心」と、「スペクタクル本来の要素」である。芝居はこの三つのどれかをつかんだだけでは足りないので、三つとも揃つてゐなければ「流行的存在」とはなり得ない。
ロツパには、嘗つての「エノケン」に於ける如く、この三つの特色が、ある程度まで具はつてゐることを私はやはり感じた。品物は上等とは云へないが、用は足りるといふわけなのである。さういふものさへ、今日、ほかにはあまり見当らないといふ大きな原因も考慮に入れる必要がある。
第一の「現代の空気」であるが、これは、説明の限りではない。次に、「大衆の心」といふのは、とにかく、個人々々の偏向を超越して、世間一般、誰でもが共通にもつてゐる覆面の半身である。必ずしも本能と一致はしないが、寧ろ因襲と常識に結びつき素朴な判断と気まぐれな意志によつて動くものである。従つて、極端な附和雷同性と自由への憧れとを同時にもち公然と正義に味方はするが、道徳的な苦悩は世俗的な意味でしかわからない。常に弱者への同情は惜しまない代り、反省
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