ものを発見できれば、私の今夜の目的は達するのである。
 先づ断つておかねばならぬことは、私は嘗て「エノケン」なるものを三十分ほど見物した。なるほど、「エノケン」は「下町式」、「ロツパ」は「山ノ手」式だといふことがよくわかる。たゞ両者に共通なものは、やけつぱちなところである。
「楽天公子」はロツパの適役であらうが、さういふ見方をしだすと余計な注文をつけたくなる。今のところ、この芝居をまともに批評するのは愚の骨頂だ。如何に娯楽としてみても、まだまだあぶなつかしいところばかりで、よほど芝居といふものを見慣れない見物でなければ我慢して見てゐることは困難だらうと云つて、「新劇」にもそれとおなじところがあるのだから、その点だけなら別に恥にはならぬが、かういふものが商品で通用する時代は何時まで続くか? この一座に、その見透しがあるかどうか?
 それはさうと、猥雑なるものは常に「通俗的」であると思ふと間違ひである。大衆は、わりに猥雑なものを平気で受け容れるが、さうかと云つて、その猥雑さになにが含まれてゐるかを見逃しては、大衆の心理といふものはわからなくなる。
「エノケン」の場合もさうであつたが、たしか
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