ロツパの「楽天公子」
岸田國士

 私の分担は「ロツパ劇」である。有楽座の初日を観る。幸ひ、獅子文六の「楽天公子」が脚色上演されてゐる。幸ひといふのは、これならどこか観どころがあるだらうと思つたからだ。獅子文六は私の嘱目するユウモア作家である。パリジヤニズムのラテン的機智と、江戸末期の洒落本調とを現代世相の諷刺に利かしたカクテルが、一種独特な香気と舌ざわりをもつて、恐らく知識大衆の嗜好に投じるであらうことは予想できるが、さて、今日の如何なる劇場が、自信をもつてこの種のヴオドビルを舞台化し得るか疑問である。
 さて、古川緑波なる当代の才人も私は若干識つてゐる。彼が俳優としての名声を博して以来、私はまだ一度もその演技なるものに接したことはないが、そこは自分の畑のことであるから、大体見当はついてゐた。緑波の魅力もさることながら、その人気は、寧ろ、ロツパを主演とする興行上の思ひつき、即ち趣向そのものにあることは察するに難くない。つまり、「ロツパ一座」が、ぜんたい、どういふ「手」で見物を惹いてゐるかといふのが私の興味の中心である。やかましく云へば、ロツパ劇の大衆性と、その観客の観劇心理とでもいふ
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