んみりと
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――熱は、一週間ぐらゐで、ずつと引いてしまつたわ。食慾もつくし、元気も出て来たわ。牛乳を欲しがるつたら、ないの。でも、食べものは、なんでも珍しがつて食べるの。特別に洋食を取るなんてこともなかつたわ。危《あぶな》つかしい手つきで、お箸を持つてみたりするの。あたしが教へたのよ。見てると、面白いより、気の毒になるの。遠い、違つた国へ来て、かうして病気なんかになつて……そんなことを思ひながら、そばでお給仕をしてると、つい、親身《しんみ》に世話をしてやりたくなるわ。
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何時《いつ》の間にか、椅子にかけてゐる。
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――それに……さうだわ……。丁度、あの頃は、あたしにも、云ふに云はれない苦労があつたんだわ……。三年も一緒に暮した男と、あんないきさつから、別れたばかりだつたし、これから、一人で食べて行くんだつていふ気持の張りから、仕事にもうんと熱を入れ出した時分だわ……。夜中にでも、ちよつと咳《せき》が聞えると、どんなに眠くつても、すぐに飛び起きて、シロップを一匙《ひとさじ》飲ませる……。あの人は、「アリガタウ」つて、そのたんびに、お礼を云ふの。そんな患者つて、滅多にないわ。それが、その云ひ方よ。言葉だけでは足りないつて思ふのか、顔つきで、それや上手に、さういふ心持をみせるの。だんだん馴れて来たせゐもあるんだけど、そん時の眼なんか、あたしたち女にさへ真似《まね》のできないやうな、優しいつていふのか、情《じやう》の籠つたつていふのか、まあ、そんな眼だわね。それと、あの溜息……さうだわ、さもうれしいつていふ溜息のつき方、それなのよ。西洋人つて、あゝいふこと、ちやんと知つてるんだわ。
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起ち上り、今度は、また寝台の上に腰をおろす。
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――もう、二三日したら、退院できるつていふ日の朝だわ。あの人は、まだ眠つてるんだとばかり思つて、そつと掛蒲団の下へ手をやつたの。脈を見ようとしてよ。あの人は、両手を胸の上に組んでたわ。この左の手首を、そのまゝの位置で、あたしは、時計の針を見ながら、脈を数へてゐたの。七十四……。そこで、手
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