ことは知れてゐるが、主として日本演劇の伝統が、恐らく最も「舶来的」感化を受けるのに困難な条件を具備してゐるためであり、同時にこれに対して新国家建設の衝に当つた当時の「役人」が、偶々西洋音楽のアカデミイ制度を移入するに際し、どうしたわけか、これに附属する「演劇教育」に関する部分を除外したことに重大な手落があつたのではないかと思ふ。
 勿論、アカデミイはアカデミイだけの役割を果せばよいのである。言ひ換へれば、国家の文化的基礎を築き、その水準を常にある程度まで高めて行くといふ機能は、アカデミズム本来の使命である。あらゆる文化の先駆的傾向は、その水準の上にはじめて活溌な動きを見せるものであることは、例を何れの部門に取つても云へることである。
 現代の日本演劇が、歌舞伎とその伝統の派生たる新派劇を主流とし、劇場文化の全面的水準をここにおかねばならぬ状態は、西洋演劇の技術的伝統が、アカデミックな階梯を経てわが国の劇壇に摂取されなかつたことに基因し、従つて、演劇人たるの夢想は、遂に、文明開化期の青年的野心と相容れざるものがあり、劇場は、果して商業主義の一途を撰ぶ外なかつたのではないか。
 演劇改良会
前へ 次へ
全8ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング