『脚本のどこにつて……本気で芝居をやれば……』
『本気になんぞならなくつたつていゝことよ。芝居は芝居らしくおやんなさい』
見物に聞かせない白
D嬢は、デュマの「アントニイ」の中で、例の情熱に満ちた場面を演じてゐる真最中、相手の男優T氏に、
『痛いつたら、そんなに締めつけちや……』
C夫人は、御亭主の、C氏と共演の一場面で、隙を見てかう云つた。
『およしなさいよ、そんないやらしい眼をするのは……』
V氏は喜劇役者である。『見物に聞かせない白』を言ふ名人である。先生と一緒に舞台に立つ連中は、いつも、あやうく吹き出さうとする。
『あなたは、ほんとに美しい』かういふ台詞のあとで
『そして、ほんとに佳い香ひがする』
さうかと思ふと、
『いつまでも、あなたのことは忘れません』の後に
『忘れてやるから、今晩、スーペをおごり給へ』
また
『君には、僕の秘密を一切打ち明けやう』と言つて置いて
『とつくに知つてもゐやうが……』
こいつ、下手に真似をされてはたまらない。『見物に聞かせない白』――聞かれたら最後、芝居はおぢやんである。
洗濯代その他
国立劇場コメディイ・フランセエズでは、専属俳優の下着類は一切、劇場の方で洗濯してやることになつてゐる。その下着からが、既に劇場で支給するといふ規定なのである。
やつぱり、下着などゝいふものは、はうつて置くと、どんな汚れたものを着てゐるかも知れないといふ、つまり、老婆心、悪く云へば、俳優に対する不信任から来てゐることは勿論である。女優などになると、肌着、腰巻、靴下…………かもじ…………まで洗つてやらなければならない。
その他の劇場の中で、洗濯代劇場持ちといふのは数へるほどしかない。
バレエ・ロワイヤル座が、その一つ。
こゝでは、劇場主が、下着の清潔といふことをやかましくいふ。俳優は競つて汚れものを事務所に持ち込んで来る。
潔癖にして寛大なる劇場主M氏は、或日――それも始めて――洗濯物差出日に、事務所へ顔を出した。
『一体、奴さんたち、どれくらゐ汚れるまで着てゐるか知ら……』
かう思ひながら、包みの一つを、成るべくそれに触れる指の面積を少くしながら開けて見た。中から、子供の涎掛け、台所用の前掛け、つぎ[#「つぎ」に傍点]だらけの敷布などが飛び出した。
大概の劇場で、給料の少い俳優に
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