こんなところで本誌の提灯持をしてもなんにもなるまいと思ふから、それはやめるが、少くとも、現在の日本に於て、「本当の芝居」を求め、自らその道にはひらうとするものは、その精神に於て、今日までの「新劇」と絶縁せねばならぬ。
 それは、今日までの「新劇」が全く無為無能であつたといふのではないが、既に為すべきことをしつくして、生くべからざる時に生きる存在となつてゐるからである。
 どこを指して僕がかういふ批難を加へるのか、それは、従来屡々述べて来たことであるが、もう一度ここに更めてその要点を挙げれば、
[#ここから1字下げ、折り返して3字下げ]
一、戯曲の本質に対する認識不足。
二、「演出」なる観念の根本的錯誤。
三、俳優の素質及び演技に対する消極的見解。
四、「新劇運動」と「近代劇運動」の混同。
五、日本在来の演劇に対する批判の不徹底。
六、西洋演劇の移入に当り、そのなかに含まれる「西洋的なもの」と、「演劇的なもの」との区別がわからなかつたこと。
七、西洋劇の「結果」を取入れることに急で、「過程」を研究しなかつたこと。
[#ここで字下げ終わり]
 等々である。
 詳しい説明は略すが、周囲を見
前へ 次へ
全13ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング