士淑女である。まだ試験はしてゐない。
定員は、十名である。
入学希望者は、簡単な履歴書と「愛読する戯曲の一節(二十行以内)」を送つて来て欲しい。その前に直接面会は絶謝する。
さて、かくして
僕は、自分の周囲に、自分の望む「演劇的雰囲気」を作り、それを次第に、自分の友人の周囲に押し拡げて行かうと思ふ。
そこで、僕が近頃度々使ふこの「演劇的雰囲気」といふ言葉について、もう少し説明を附け足せば、今日、戯曲を書き、舞台に立ち、又は新劇団の各種の仕事に従事してゐるものは、それぞれの「演劇的雰囲気」を自分の周囲にもつてゐるに相違なく、その雰囲気が、彼等に希望を与へ、精神を鼓舞し、仕事の標準となり、新たな発見を加へさせてゐるのである。ところが、歌舞伎や新派のもつ雰囲気は、既に、歌舞伎的新派的なるもの以外に何ものをも生み出させないことは明かであり、所謂今日の「新劇」のそれにしても、従来の「新劇的」なものより外、これといふものを育て上げてゐないのである。
辛ふじて、本誌に拠る同人諸君は、前に述べた如く、期せずして、一つの「劇作」的雰囲気なるものを在来の「新劇」のそれから引離すことに成功し、その結果、わが新劇史に一時代を劃する本質的傾向の発見者たり得たのである。
が、演劇の全般的向上は、一雑誌の作り出す雰囲気だけでは、容易に実現を望み得ないといふことを、同人諸君も十分に承知してゐるから、それぞれ実際運動に片足を入れたり、入れかけたり、入れた足を引込めたりしてゐるのであるが、僕の考へでは、「既に存在するもの」のなかにはひるといふことは、危険千万であつて、自ら求めてなすべきことではないと思ふ。諸君に、それを「変貌せしめる」だけの力があるにしても、その間に、諸君が「変貌する」可能性はないと保証できない。
僕はそれについて、自分自身の問題としてこれを考へてゐるから、敢て、次のやうな提言を試みるのである。
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第一に、実際運動をはじめるなら、先づ、根本的に「新しい新劇精神」を打ち樹てて同志を糾合すること。
第二に、実際運動に遠ざかり、且つ、現在以上、実際的刺激となる「演劇的雰囲気」を求めるなら、現在、幸ひにして、西洋のトオキイといふものがあるから、主としてそのうちの優れた舞台俳優の出演するものを選んで、仔細に、その演技を観察翫味
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