の変化、感覚の遊離、潜在意識の探求、これら新文学の特色は、戯曲の構成に、より端的な、より飛躍的な手法を選ばせた。連続する事件の常識的観察を排して、極めて短時間に圧搾された生命の現象的効果を、断片として、次ぎ次ぎに捉へて行くことが小説に於てさへ、一つの新味ある表現上の発見となりつつあることを見ればわかる。
小説に於ける「一行アキ」の効果は、やがて戯曲に於ける場面転換の効果である。
「これからの戯曲」といふ問題について、まだ論ずべきことも多々あるが、要するに、以上は、その一端にすぎない。初めにも述べたやうに、日本の現代劇は、まだその基礎が出来上つてゐない。基礎とは、西洋劇が今日まで築き上げた「写実」の境地に外ならない。わが劇壇から将来、『烏の群』や『死の舞踏』や、『叔父ワーニヤ』が生れるとしても、それは決して、「これまでの戯曲」と呼ぶことはできないやうな気がする。(一九二九・六)
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
1936(昭和11)年11月20日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007
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