コポオが、先年演劇学校を開くに当つて、一座の俳優及新入研究生に向ひ、一場の挨拶を述べた際、先づ此の話をし、「何かを成し得る為には、先づ、何かでなければならない」と云ふゲエテの言葉を引用して、ヴィユウ・コロンビエ座が、その仕事を「初めから始める」ことが出来なかつた事を残念がつた。
 彼は、その時、何時になく感激した調子でかう述べた。「クレイグの言葉は論理的である。若し、私が、彼の論理に従つたら、どうなつてゐたらう。私にとつて、『初めから始める』ことは『何もしない』ことになる。私は、先づ、存在しなければならなかつた」
 成る程、ヴィユウ・コロンビエ座は先づ存在した。そして、「初めから始める」ことが出来なかつた代りに、クレイグが成し得なかつた事を成し遂げようとしてゐたのであるが、モスコオ芸術座の舞台を見て、「完全である。但し、小芸術の完全さである。」と云つたコポオの批判(これは公言したわけではない。ヴィユウ・コロンビエ座の一俳優から伝へ聞いたまでゞある)は、どれだけの真理があつたか、吾々は、それを知る為めに、もう十年待たなければならなかつた。
 今や、ヴィユウ・コロンビエ座は主なき家である
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