あの日あの人
――巴里劇壇回顧――
岸田國士
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)身体《からだ》
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぐづ/\
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔C,a viendra〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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一九二二年の暮れ、スタニスラウスキイの率ゐるモスコオ芸術座の一行が巴里を訪れた。
その開演の前夜シャン・ゼリゼエ劇場主、エベルトオは盛大な歓迎会を同劇場内に催して、一行を巴里の劇壇に紹介した。
其の夜の光景は、私の終生忘れ難きものゝ一つである。スタニスラウスキイを中心に、チエホフ夫人、カチヤロフ、モスコオフィン等の名優を始め、一座の俳優が舞台の中央に居並び、右手には、エベルトオと共に、自由劇場の創始者、老アントワアヌが控えてゐる。左手に一人、前かゞみに、両手を組み合せて立つたのが、ヴィユウ・コロンビエ座の首脳、ジヤック・コポオであつた。参会者は見物席の土間に満ちてゐた。エベルトオの挨拶がすむと、アントワアヌはその岩のやうな身体《からだ》をスタニスラウスキイの方に進めて、
「吾が親愛なる友、而して、敬慕する偉人」と、呼びかけた。
「私の求め、望み、而して、実現し得なかつたものを、あなたは、あなたの才能と、人格に依つて実現されたのである。」
その熱と、力に満ちた語調は、彼の自由劇場回想録を読んだ者の胸を刺さないではゐなかつた。
「私は仏蘭西劇壇の前途の為めに、あなた方御一行の遠来を感謝します。有難う」アントワアヌの声は異様にふるえた。
世界第一と称せられる劇壇の指揮者、白髪の巨人、スタニスラウスキイの前に立つて「吾が友」と呼び得るアントワアヌの心持に反し、コポオは流石に胸を躍らせてゐるやうに思へた。(こゝで私は、自分の想像が事実をまげる事を恐れる)コポオは演説を準備してゐた。然し其の朗読は平常のコポオを知つてゐる者なら、決して立派な出来栄えであつたとは云はないだらう。たゞその論旨は、芸術座への讃辞として、理解と感銘に満ちたものであつた。
最後に、スタニスラウスキイが満面に微笑をたゝへて、一行の中央から進み出た。
「私は、今、諸
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