芸術的な」悦びを感じるのです。
戯曲は戯曲であるが故にのみ僕には面白い。これに盛られた思想などといふものは、それが独創的なものでない限り、しかも予めレッテルが貼られてゐては、なほさら、一向僕には魅力がありません。それ故、マルクス主義の作品と聞いただけで、実は今まで、おほかた敬遠してゐたといふことは、嘗て君にも告白した通りであります。
が、それは決して、一人の作家がある思想、ある主義を奉じてゐるから、その作品が面白くないといふことにはなりません。彼が文学的行動を取るに際して、自己批判の名にかくれて、全人格の赤裸々な表現を憚る卑怯さ、政治的なる口実の下に、修正され、装飾され、従つて、他所行きになつた自分自身の厚かましい押売り、さういふものが、作品を通じて、われわれのモラルではなく寧ろ神経を、趣味といふよりは寧ろ感覚そのものを絶えず焦ら立たせるからです。
一度過ちを犯した人間が、その過ちを「清算」しさへすれば、今度は、もうどんな過ちも犯さない人間になるやうな錯覚を、誰が承認できるでせう。「ああでなかつたからきつとかうだ」と単純に云ひ切れるやうな人物を僕は警戒します。「神聖な目的」を振り
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