時代を通じて、日本人としての立派な生活精神を基礎とする円熟した生活技術をもつてゐたのである。
 時局下における国民生活の樹て直しが、わが伝統の再認識と新しい世界観の把握とを基礎としなければならぬことは勿論であるが、これを具体的に押し進めて行く目標は、是非とも、日本人の生活力の強化におくべきであつて、精神的にも物質的にも、その実践は、高度の技術を発見し、獲得し、これを習性とすることを不可欠の要件とするのである。それはさうと、われわれは、まだ、「生活」の内容についての研究も足りないし、「生活」といふ問題の取扱ひ方にも十分慣れてゐるとは云へない。少くとも、「生活」なる言葉の使ひ方さへ、日本人同士の間で往々喰ひ違ふやうな実情である。
 今度内藤濯さんの訳された、モオロアの『私の生活の技術』は、さういふわれわれにとつて、非常に面白い参考になるといふわけは、人間研究において、独特な域に達してゐるフランス文学者の、いくぶん巧緻にすぎるきらひはあるが、なかなか鋭い「生活」なるものの見方が、今日お互の気づかない点を指摘してゐはしないかと思はれるからである。
「考へる技術」とか、「愛する技術」とか、「年を
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