しかに僕の最初描いてゐたイメージ、それ以上の光彩と深さとをもつて僕の脳裡に刻みつけられてゐる。
○チェホフの戯曲を、モスコオ芸術座以外の劇団が演じる時に、必ずしも、範を前者に取るべきだとは云へない。そんな馬鹿な話はない。現に、ピトエフは、ピトエフの『鴎』と『ワアニャ叔父』とをもつてゐる。その演出が、若しスタニスラフスキイに及ばないとしても、それは、決してピトエフがその旧師を真似ないからではない。
○モスコオフインの扮するエピホオドフでさへ、あれを見て、誰があれ以上のエピホオドフを想像し得ないだらう。
○旅興行の不自由さからであらうが、シモオフとクリモフとの考案に基くグレミフラフスキイの舞台装飾は、決して無条件に感心すべきものではなかつた。
○若し、僕に露西亜語がわかつたら――さうだ、わかつたら――もつと、あらが見えたに違ひない。
もつと、もつといゝところがわかつたらう――と云はれてもしかたがないが……。
○たまたま、日本の――と断わることを許して下さい。話がごつちやになりさうだから――日本の新劇協会が、帝国ホテル演芸場と云ふ仮劇場で、『桜の園』を上演した。
○僕は誰からも
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