のおほまかな、素直な、どつしりした芸風が、ぴつたり、そこに嵌つてゐた。
 ○ロパアヒンは善良な「俗物」である。が、そのことは彼が一つのプリンシプルを有つてゐることを妨げない、――そのプリンシプルが彼を聡明にしてゐる。聡明にはしても、「インテリゲンツィア」にはしない。そこに此の人物の面白さがある。医者にも、学者にも、弁護士にも「俗物」がある。殊に「大学出の実業家」と称する俗物もある。さう云ふ俗物になつてはいけない。それにはレオニドフのロパアヒンを見なければならない。
 ○『桜の園』の人物は――チェホフの人物はと云つてもいゝ――彼等は常に話しかける、或る時は彼等の周囲に、或る時は彼等自身に、そして屡々彼等の「幻」に……。沈黙に耳を澄ますことを知らなければ、彼等の言葉は空虚である。
 同時に、その「幻」を完全に描き出すことが出来れば、その演出は成功である。
 ○いちいちの役割について、今、あの時の印象を述べることは無駄な気がする。僕の読んだ仏語訳に十分の信用が置けるものとして、また、僕の「戯曲を読む術」がそれほど怪しいものでないと云ふ自惚れを土台にして、モスコオ芸術座の演じた『桜の園』は、た
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