『月・水・金』の跋
岸田國士

 卒業製作の採点を命ぜられて、一番困つたことは、標準を何処におくべきかといふこと、並にその点数に表はれた数字が、結局何を意味するか第三者に解つて貰へるだらうかといふことであつた。
 学校の成績といふものは大体さういふやうなものであらうから、別にさうやかましく考へなくつても、本人にさへ実質的な迷惑が及ばなければ、あとはこつちの勝手と腹を決めた。
 この集を編むについて、私の組から、大木、八谷両君の製作を撰んだのも、私は、やはり、両君の名誉(?)といふことよりも、寧ろ他の諸君の為めを顧慮した結果だと云ひきることができる。つまり、大木、八谷両君と雖も、後来、これ以上のものが書けない人ではないが、他の諸君のものは、なんとしても、今世間へ発表するのは早すぎるといふ性質のものである。
 元来、誰がどう工夫しても、作家や評論家を養成する機関といふやうなものは、先づ在り得るとは思へない。明治の文芸科は、その組織から云つて、まづまづ好ましい文学的雰囲気を作つてゐると考へられるだけで、他日、こゝから何かゞ生れるとすれば、この一巻の選集は単なる出発準備を示す合図に過ぎないであ
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