らなかつた。彼女らはまた、男ばかりが散歩に行くことを不平に思ひ、女ばかりが子供を生むことを少し残念がりはしなかつたか。
かう云つてくると、「ハイカラ」なる言葉は、思想に触れてくる。そして、生活そのものに触れて来る。
さて、上に述べたやうな意味に解すると、「ハイカラ」といふ言葉は、「西洋風を真似ることによつて、しやれ、かつ気取る」意味であり、いはゆる「当世風」とか、「現代式」とかいふ言葉と、一脈相通ずる意味さへ含むことになるが、私はこの「ハイカラ」といふ言葉を必ずしも「気障《きざ》な当世風」、乃至「軽薄な西洋かぶれ」とのみ解しないで、かの「粋」といふ言葉の如く、今日、われわれの生活、われわれの趣味、われわれの文学中に見る一つの「美」の要素として考へて見たいのである。
実際、今日、われわれは、よき意味に於ける「ハイカラな男女」「ハイカラな生活」を知つてゐる。われわれはまた、よき意味に於ける「ハイカラな趣味」を感じ、「ハイカラな文学」を見てゐる。この場合「ハイカラ」とは、そもそも、何を指すのであるか。私はそれが必ずしも「西洋風」に関係があるとは思はない。なぜなら、西洋にだつて、「ハイカ
前へ
次へ
全10ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング